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■東北地方太平洋沖地震 3日目

記録、です。

3/11(金)14:46、マグニチュード9.0の地震が起きてから2日たちました。
テレビから流れてくる被災報道は本当に悲惨で、
新たに福島原発の爆発など、全然心休まりません。

3/11(金)地震当日、私は会社の事務所に一人でいました。
突然の揺れにも、最近地震が多かったせいと
やはり「地震なれ」してた新潟県民というせいもあるのか
「また地震~すぐおさまるよ~」とフツーに仕事を続けていました。
それが揺れのふり幅大きくなってきたことと、
全くおさまる気配がないこと、
あとは一人でいたのが不安をあおったので
まず棚も何もない壁際に背中をつけて
じいっとしてました。
でも全く揺れはおさまりません。
勤めて1年ちょっとの会社の建物自体が
どれくらいの耐震を備えてるのか不安になり
私は外に出ました。
車庫に停めてあった軽自動車やバイクの揺れが半端なく、
電信柱、電線も風もないのに台風が来たときのように
激しく揺れて立ってるのも難しいくらいでした。
同じように表に出てきた、肩を寄せ合う近所のおばちゃん(面識はない)と
「止まらないね、恐いね」と声をかけあい、揺れがおさまるのを待ちました。
たぶん、5分ほど外にはいたと思います。
揺れが少し弱まった(止まりはしない)ので
私は事務所の中に戻り、テレビとネットをチェックしました。
宮城が震源地。
徐々に情報が入ってくると震源地は遠いのに
お台場で火事、横浜駅近くのボウリング場の天井が落ちる、
卒業式の九段会館の天井が落下。
入ってくる情報はまず手近なところから、
それから徐々に震源地近く、上空から。
でもまださっぱり把握できない。
それくらい混乱してた。
津波警報も、過去出てた時だって被害者がでなかった。
ホントにホントに水際に行かなければ大丈夫、だから行かないで
っていう程度の警報だと思ってた。
でも津波による死者200~300人。
徐々に映し出される津波の映像は
到底日本の映像とは思えない。
漁港や住宅街や道路が浜にあったんじゃないかと思わせるくらい
波にのまれていってる。
ヘリからの映像で、波の先の道路を走っていた車、
数メートルというところまで波が来たので急に道路をはずれた
田んぼ(畑?)にハンドルを切った。
あのままその車は波から逃れられたのか、わからない。

その後、茨城、福島を震源とした地震が起きていたことが判った。
横浜の揺れは茨城震源の揺れだったのではないか?

事務所に社長が戻り、家族のことを心配していた。
私にも「明るいうちに帰りな」と言ってくれたが、
自宅のほうが停電してるかもしれない、
連絡の取れていたダンナは当分帰宅できそうにない、
ということで、電気も水道も心配のなかった事務所にいることにした。
社長はふたたび現場に戻り、その後事務所にいったん寄り、
自宅に家族の確認に行った。
それから社員の人が一人二人と帰ってきて、
ずっとテレビを一緒に見ていた。
自宅は電気が止まっているのかどうか、
判らなかったが、社員の一人が東京電力のサイトを教えてくれた。
それを見る限り、会社がある地域では6000世帯、
アタシの自宅がある地域も2100世帯停電、となっていた。
6000世帯停電でも電気が通っているうちのような会社もあるってことは
2100世帯と少ない自宅の付近でも、うちのマンションは停電してるかもしれない。
ますます帰りたくなくなった。
車で湘南の現場から帰ってきた
(15:00に出発して会社に着いたのは20:00くらいだった)一人は
事務所の二階の寮に住んでたので自宅に戻った。
事務所の区の隣の区に住んでいた二人は車とバイクでそれぞれ帰った。
現場から徒歩(30分程度)で戻った二人と
関内駅のほうから歩いて帰ってきた(10駅くらい、2時間以上かかったらしい)一人の
計3人が、自宅が東京だったため
横浜の会社事務所からだと電車は動かない、
徒歩で帰るには距離がありすぎる、ということで
事務所に泊まることにした。
結局、21:00過ぎに東京電力サイトでで自宅地域の停電がなくなったことを
確認してから私は帰宅した。


私は自転車通勤なので
全く帰宅には問題がなかった。
しかし、外は混乱していた。
いつもは静かになる時間帯が心なしか賑わい、
会社近くの飲食店は外に人があふれていた。
帰宅できない人が暖をとっていたのではないかと思う。
いつも通る踏み切りは遮断機が下りたままで
開かなかったのだろう。
片側のバーが折られ、警報機のなり続ける踏切を
車が1台ずつ走りこんでくる。
それも片側だけが踏み切りに入り込んできて
対向車に譲らない。
アタシは踏み込めないでいる対向車側にいたのだが、
見るとおばさんドライバーだった。
後ろからガラの悪いトラック運転手にふかされて、
オドオドしていた。それでも発進できない。
見かねて私は警報機のなる踏切を渡り、
反対側の走り出そうとする車を止めた。
しかし、おばさんドライバーは後ろのプレッシャーに負けたのか
踏み切り手前のわき道を走っていってしまった。
トラック運転手は急アクセルで踏み切りを走っていった。
私は交通整理を続けるでもなく、踏切をあとにした。
踏み切りを越えると、国道15号線に出る。
唖然とした。
道路は車で埋め尽くされ、信号が変わっても動かない。
交差点の真ん中まで車。
過度の渋滞なのだ。
普段でも車どおりは多いほうだと思う。
ただこんな光景は初めてだった。
20110313-1
ただ、クラクションも聞こえず
ただ静かに自分の番をみんな待っているようだった。
歩行者も見たことのない人数だった。
普段でもこの横断歩道は10人が一度に行き来すれば多いほう。
それがこの21:00過ぎという時間帯に
これだけの人が歩いてる。
20110313-2
イメージは新宿とか原宿とか、そんな感じ。
信号待ち(意味ないけど…)をしてる人ごみを
「すみません」といいながら自転車を引いて通り抜けた。

私は自宅に戻り、テレビをつけて
津波の映像を再度見た。
なんでこんなことに遭わなければいけないの、
と涙が出た。
天災は誰にも文句がいえない、だからなおさら。

それから余震は何度か、あった。
一人でいるのが恐くて、スカイプとメッセで友達と状況を説明しあった。
お風呂なんて入ってる状態じゃない。いつ地震が起きるかわからない。
ご飯を炊いて、水道水をペットボトルにつめ、
家にあるお菓子を袋におさめ、
タオルを何枚か用意した。
ただ、もう何から手をつけていいかわからなかった。

ダンナとも連絡はつくがJRはすでに終日運休を発表していた。
国道15号はさきほどの写真の状況じゃダンナの会社にたどり着ける気がしない。
夜中まで様子を見て、車が動けるようなら…と
思ってはいたが、JARTICの渋滞情報見ている限り
真っ赤な線は消えそうになかった。
3/12(土)午前3:00私は枕元にダイモラジオ(ライト)と
携帯2台を置いて寝た。

夜中に鳴る「緊急地震速報」に何度か眼を覚ました。
ただ、もうそれをちゃんと確認する気力はなかった。
朝6:00眼を覚まし、携帯を確認すると
「京急が動いたらしいから帰れる」とのダンナからのメールが。
朝4:30ころに着信していた。
電話をするとつながり、京急に乗るのに並んでるとのこと。
とりあえず自宅を目指して動いているもよう。
数時間後、川崎駅に降りただんなから迎えに来れるか、と
電話があったので渋滞情報をチェックすると
国道15号線はほとんど渋滞はしていない模様。
午前7:00過ぎ、不安ではあったが車で迎えに出た。

道路は普段どおりに見えた。
朝ということを除いてもスムーズに流れていた。
昨日の今日、テレビの中と外、
全然違うのですこし混乱する。

川崎駅からダンナに国道15号線まで歩いてきてもらい
無事めぐり合うことができた。

それからテレビを見ながらお互いの状況を話し合い、
とりあえず軽くご飯を食べ、
お風呂を入れて入った。
そのあとダンナは布団で眠りについた。
前夜は机につっぷして2時間程度寝ただけらしい。

私はその後もテレビを見続けた。
呼びかけどおりエアコンをつけずに
日差しの入る窓際のダンナの椅子に座っていた。
新潟から友達から電話が入った。
昨日メールで無事は連絡していたが、
電話をかけてきてくれたのだ。
少し、話して、他からの着信があったので電話を切った。
キャッチは、レストランのオーナーだった。
3/10がダンナの誕生日だったので
3/12の土曜日に夕食を食べに出るため
予約していたレストランだった。
バタバタしていて連絡が遅くなったが
断りの電話を入れるつもりだった。
オーナーは
「予約いただいてましたが地震のために休業いたします」
とのことだった。
もう…どうしようもないことだ。
「ありがとうございます」
と言って電話を切った。

それから私は椅子でうとうとしていた。
情報が気になって起きてはいたが
やはり睡眠時間3時間では眠たかったらしい。
体勢がきつくなったので
私もダンナの傍らで寝ることにした。

昼過ぎ13:00くらいまで寝ただろうか。
起きてはテレビを見て、
悲惨な状況に歯がゆい思いを続けた。
恐くて買い物に出る気もしない。
電力の使用時間帯をズラすつもりで
17:00前くらいからとりあえずあるもので料理。
予約していたレストランはリブを出すお店。
行けなかった代わりに豚のブロック肉を
これでもかっ!と大好きなにんにくとしょうがたっぷりで
蒸し焼きにした。おいしかった。
おにぎりもたくさん作って冷凍庫に入れた。

起きていてもさほど状況はかわらなそう、と踏んで
ダンナと早めに寝ることにする。
23:00就寝


また夜中に緊急地震速報。何度も。
頭が覚めきらない。また寝る。

3/13午前9:00すぎ。
寝床からiPhoneでYahooを見る。
福島原発の「緊急事態」に飛び起きる。
テレビをつける。テレビではタイミング悪く
なにも福島原発の現状を伝えていない。
PCをつける。
なにがどんな風に緊急事態なのか知りたい。

結果は最悪。放射能漏れ。
被爆者数名。150名も被爆の可能性。
この時点では「被爆」というものが
どんなことかよく理解してなかったと思う。
どうにか安心しようといろいろ情報を探す。
そして東大の早野教授のツイッターのまとめが、
とても判りやすく読んで安心した。

身支度を整え、11:00過ぎ頃買い物に出る。
いつもはトレッサ横浜に車で買い物に行くのだが、
少し距離があってそれまでの道のりが
渋滞、もしくは余震の影響とか心配で
少しは近めのラゾーナ川崎に行くことに決めた。
その前にドラッグストアに寄った。
駐車場は普段どおりの混み具合。
ただ、中に入ろうと入り口に近付くと
入り口の自動ドアのところに
「懐中電灯、乾電池売切れ」の張り紙。
店内は半分以上の電灯を消灯しててくれた。
昼間だからさほど気にならない。
節電につとめてくれてるその気持ちがうれしかった。
陳列棚のパンは品薄。次回の入荷は未定と書かれていた。
カップラーメンはほとんどなし。
棚卸しでもしたみたいな様子だった。
続いてイトーヨーカドーに寄ったが、
普段高価いのであまり買わない。
ダンナがクリーニングを受け取り、
私は化粧品を買って、あとにした。
その後、予定通りラゾーナへ。
いつもはイベントが多くやられており、
週末の駐車場は何十分も待たないと入れない。
ソレがいやでラゾーナに行くのを止めたくらいだ。
しかし今ならイベントは中止だろうし、
こんなときにわざわざ遊びに来る人も少ないだろう、
ということで向ったのだ。
案の定、ラゾーナまでの道のりは空いていた。
ラゾーナ自体へ難なく近づけた。
しかしラゾーナ自体が全館閉館していたのだ。
どうりで渋滞していないはずだ!
しょうがないのでまたヨーカドーへ戻ることに。
食品売り場へ行く。
思っていた以上に生鮮が置いてある。
店内放送、音楽、明かりも普段どおりだ。
あれ…?と思うくらいだった。
しかしデイリーのところまでくると
ガラーンとした棚が。
20110313-3
隣の商品を見ると納豆とかだったので
たぶん、安いほうの納豆や、
その関連商品などだったのだろうが、
全てなくなっていた。
あとはもやしなど野菜の一部の欠品。
精肉も品薄。パンなどもかなり減っていた。
高価いけどっっ!(・ω・;) と思いながらも
少しのひき肉、あとはいざっていうときのためのお菓子(そのまま食べれるから)
普段どおり過ごすための野菜類、食パンがなかったからレーズンバターロール、
日持ちしそうなロングライフお豆腐、などを購入。
とりあえず備蓄してあるカップラーメン、レトルト類、
砂糖、塩、など1週間は充分問題ない食料を確保。
食いつなげば電気なくてもしばらくはなんとかなりそうな
食材は持っています。
そして、輪番停電になっても大丈夫なように
ケチケチ根性で溜めて「う…邪魔」ってなって
冷凍庫から一旦出していた保冷材たちを冷凍庫に戻し、
いざっていうときのために準備。

13:30、テレビでの枝野長官の「新たな対策の必要はない」
という福島原発の話にも安心して、
節電のためテレビを消して、radikoを聴いている。

明日からは普段の生活。
外に出て改めて理解したけど、横浜の被害はほとんどないのだ。
家に閉じこもって被災地の報道をテレビでずっと見てると
当事者のつもりになってしまうけど、
全然こっちはなんともないのだ。
交通網が遮断されて、地震当日はパニックになったけど
それだけ、なのだ。
これが新潟にいて同じ震度であったとしても
ココまでアタシは当事者の気分にはならなかったと思う。
だって車で動けるから。
みんなも。会社に泊まるなんてありえない。
すぐに被災者のためになにかを!と考えがシフトできたと思う。

いまは、普段どおりの生活を明日から送ることに集中したいと思う。
動ける人が動かなければ、動けない人を助けることができない。

取引先さんも被害を受けた会社がある。
地震当日から現場に関してはウチの会社も対応に当たっている。
「大変だったね」という気持ちだけではすまない。
気持ちを引き締めてあたりたい。
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■コメント

■Re: 東北地方太平洋沖地震 3日目 [ゆ]

こっちも納豆の棚が完全に空白だったよ。
水戸のあたりは液状化が酷いみたいだものね><

水やカップラーメンももちろん売り切れてた。
いつ着くかわかんないけど
アメリカから空母がきてるらしい。
すごすぎる。
http://blog.livedoor.jp/kinisoku/archives/2394511.html

■Re: 東北地方太平洋沖地震 3日目 [jun]

わっかる。アメリカ、だてに大口たたいてねーぜ。

ホントに助けてほしい。早く。平穏が早くきてほしい。

■Re: 東北地方太平洋沖地震 3日目 [Tank]

すごいレポだ。今回ばかりは人ごとじゃないと感じるよね

第七艦隊のtwitterフォローすべし。かなり心強い行動してくれているよ

■Re: 東北地方太平洋沖地震 3日目 [jun]

これ?かな http://z.twipple.jp/user/US7thFleet

余震の心配はなくなってきたけど、まだまだ寒いのがね。早く電気が復旧して、避難所の人もあったまってもらいたい!

■Re: 東北地方太平洋沖地震 3日目 [Tank]

@US7thFlt
日本語版。英語読めないわたしはこっち・・・

■Re: 東北地方太平洋沖地震 3日目 [jun]

いや…おかしいな、とは思ったんですよw
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